トルコといえば,世界で一番美味しいハチミツの産地といわれてるね(ご本人たちがいうようだけど).
そうだね.もっとも隣のギリシャでも同じことを言うんだけどね(仲のいいことで).実際,トルコの養蜂は盛んで,2002年には,巣箱の数では世界の実に8%あまりを保有している(Guler and Demir, 2005).一方でハチミツの生産量は世界の5%程度にとどまり,輸出も全生産量の1/7ほど.国内消費が多いので,日本ではまずお目にかかれないかな.国内の移動養蜂が盛んで,それは地域ごとの気候や地勢を活かした多様なハチミツが生産されることによるらしい.ギリシャに近い,エーゲ海を臨むような地域のハチミツにはハーブ系のもの,地中海側では柑橘類などを蜜源とするもの,いわゆる小アジアとも呼ばれるアナトリアでは甘露蜜も採蜜できる.映画が撮影されたチャムルヘムシンは,トルコでも最も養蜂が盛んで,全ミツバチの1/4がいる黒海沿岸地方に位置している.ただ,伝統養蜂は,この地域でもたった2%程度ということだから,映画で見るものは実は少数派ということだね.自然条件では,野生の色黒のコーカサスミツバチ(コーカシアン,セイヨウミツバチの一亜種)が生息している.映画に登場したのも黒い蜂だった.
タイトルが「蜂蜜」ということで,主人公ユスフの父親は,そのコーカサスミツバチのハチミツを伝統的に採る養蜂家という設定だね.
どの程度,専業的なのかはわからないけれど,母親は茶園を手伝っているくらいで,家計はハチミツ頼りのようにも見える.トルコは世界でもハチミツの価格が高い方で,1kg当たり15ドル(近代的に生産されたもの)で取り引きされている.その価格でもよく消費されていて,一人当たりの年間消費量は800gを上回っている(Guler and Demir, 2005).ただ,ハチミツの生産量に較べて蜜ろうの生産量が少ないのは巣蜜を食べる習慣があるからだといわれるくらい,巣蜜好きな国民だとか.近代養蜂で生産された巣蜜は,普通のハチミツ(巣から分離してろ過したもの)の倍以上,30〜35ドル/kgにもなる.それがさらに伝統的な丸太巣箱のものだと100ドル/kgにもなる(Kandemir, 2010).黒海沿岸地方で薬用にもなるハチミツだとさらに高価(200ドル超)なものになるらしいから,これがユスフの父親が伝統的な方法にこだわる理由だろう.映画の中でも,母親が「ユスフの吃音が治らないわね」と問いかけるのに対して,父親が「黒崖に巣箱を置いてみたい」と切り返し,それっきりミツバチの話題になる.そんなことが許されるほど,この家ではハチミツによる(ばくち的な)収入への期待が高い.そうした金脈を追うような父親の生き方が,子どもであるユフスにとっては男らしく魅力的に映るのだろう.
実際に,木の上で採蜜をするシーンがあったね.
ここは背後からの撮影で,おそらく俳優さん自身ではなかったからだろうか,手の動きとかに迷いがなかった.丸太巣箱の中の巣はすべてを切り取るのではなく,基本的にハチミツが入っている部分を狙って採っているようには見えた.ユスフもお手伝いで,木の下にいて,父親の指示通り,火をつけた燻煙器や,切り取った巣を入れるバケツをロープに結びつけてた.父親はそれをロープでたぐり寄せるという方法.ハチミツがたっぷり入った巣を入れたバケツが降ろされると,最初に味見をするのは自分とばかりに,でも,ほんのちょっぴりだけなめてたね.ハチミツの価値がわかっているって感じだ.
それにしても丸太巣箱をずいぶん高いところに置くんだね.
それはミツバチがもともと高いところに巣を作るからなのでは? この地域は年間の降水量が3000mmを超えるようなところだし,映画の中でも霧がかかったり,雨がちで,地面はいつも湿っている.セイヨウミツバチは湿っぽいのがきらいだろう? 養蜂家は,高い木の上に作業可能な場所(立てる程度だけど)を作って,その上に巣箱を置く.伝統的に行われてきたとはいえ,それなりに工夫が入った丸太巣箱は,木材も新しく,雨がちなこの地域からは想像しにくいほど内部はよく乾いていた.それも高さがあるからこそかなと思うけど.
養蜂の場面はそれほどなかったけれど,ミツバチ的に印象的なシーンは,テーブルの上に置かれた女王蜂の入ったカゴ.
確かに,しっとりした緑が印象の谷の風景や,実際の丸太巣箱から想像できる年代と,この女王蜂のカゴには時代感覚的なギャップがあるよね.でも,そもそもハチミツで儲かっているという背景があることも考えるべきだし(家の中にはガスコンロや冷蔵庫もあった),ストーリーの年代は,ユフスが日めくり(宗教標語とかが書いてある)を読み上げているときに2009年といっているので,まさに今.購入した女王蜂を丸太巣箱に入れに行くというのがこの養蜂の日常的なスタイルであるということなんだろう.実は,トルコでは養蜂の生産性の低さについて,古い女王蜂を使い続けることが原因だという指摘もある.そこで,政府公認のミツバチブリーダー(2002年には43業者)が年間12〜13万匹の女王蜂を生産している(Guler and Demir, 2005).そんな背景事情があるから,あんな山の中で伝統的な養蜂を営んでいるかのような一家のテーブルにも,女王蜂が届くということなんだろう.
親子での森の散策場面もあった.毒のある蜜までユスフが知っていて驚いたよ.
父親が息子に「この花は何?」と尋ねるときちんと答が返ってくる.ユスフはまだ小学校に入りたてで,普段は吃音ということもあって上手にはしゃべれない.授業でうまく音読や計算ができると「よくできました」バッジをもらうんだけど,それをクラスで最後に(少々先生の恩情もあって)もらえるくらいだし,母親とも言葉での会話ができていない.それなのに,父親と小声で話すときはちゃんと話せる.花の名前,蜜の色,味.やがては自分も養蜂家になりたいという職業的あこがれから,こうした知識は身についている(燻煙器も自分でつけてたし).それも印象深いね.
父親が深い山に入り,帰らぬ人となってしまう原因になったミツバチの異変.巣箱の中でたくさん死んでいたよ.父親ヤクプは泣いていたね.
トルコでは2006〜2007年に大量の蜂群損失が報告されていて,撮影地となった黒海沿岸東部地方では57%近いミツバチが失われた(Giray et al, 2009).雨がちなのが特徴のこの地域で,特に2006年秋は気象観測データからもうかがえるほどよく降ったようで,それが大きな要因であった可能性もある.けれど,はっきりしたことはわからないままで原因は特定されていない.ミツバチの病気やダニに関しては,この時期は思ったよりは大きな被害報告はないらしいし.ヤクプにすれば収入の道が断たれたという意味ではショックだったろう.原因がわからないので,怒りの向けどころがあるわけでもなく,死んでいるミツバチに対して気持ちが動いて,泣けたという感じかなあ.
最後に映画の評価もしておいてよ.
この映画を語ろうとすれば,1973年のスペインのビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき(原題:El espiritu de la colmena=巣箱の精神)」を,どうしても比較に出さなきゃとは思う.主人公アナの父親は,ミツバチを飼っているけれど,それで生計を立てているという感じではない.父親のモチーフは,あの「青い鳥」を書いたメーテルリンクで,書斎で書いている文章は彼の著作「蜜蜂の生活」の各章の主要部分だった.ここでは,アナはミツバチへではなく,映画のフランケンシュタイン(姉に「あれは精霊だ」と吹き込まれる)に惹きつけられていく.少女らしい幻想を一つの通過儀礼としながら,父親が書き綴る,ミツバチの働き蜂の分業の話などを織り込んで,成長を描く.ミツバチ好きにはたまらない映画だった.共通点は親子の関係と学校というところか.風景はスペインらしい赤く乾いた土地で,今回の山間の雨がちな緑とは対照的だし.
前置きが長いよ.比較じゃなくてストレートに「蜂蜜」について.
もうそれは見てのお楽しみというしかないけど.どうしても三部作として見てみたいとは思う映画かも知れない.日本での公開は「蜂蜜」から始まるという事情はあるけれど,監督の制作意図とは別に,成長を追う見方をしたいと思った.この子(ユスフ)が大きくなったらどうなるのか,一家を支えるものが失われた家庭には何が起こるのか,それがユスフにどう影響するのか.もちろん,すべての年代のユスフが同じ時代を生きていることには無理がある.だからそれぞれの主人公3人を同一人物と見るかどうかは,見る側に委ねられている.秘密好きなのか監督自身はそれについてはコメントしていない.
映画の中でも,ユスフが夢の話をすると,父親が「夢の話は人に聞かれてはいけない」と耳元で話させ,さらに「その話は誰にもしてはいけない」と約束させるので,見ている側にもこの内容は永遠に封印された秘密になってしまう.後半で母親が夢を話すシーンがあり,ユスフがどぎまぎした表情で母親を見る.余談だけど,子どもは父親と母親の差をそういう部分で感じ取るんだなあと,子育て中の我が身では感じるね.
どの映画でも,子役はいつもずるいなあとは思うけれど,学校の生徒たちもそれぞれみんないい味出している.監督が撮影地で発掘したという,主人公ユスフを映画初出演で演じた8歳のボラ・アルタシュは,演じているという感じがなくて好印象.詩を朗読する少女に初恋を感じるシーンや,父親の不在を克服するために嫌いなミルクを飲むシーンなど,表情豊かで見応えもある.
映画全体を通じて,音楽の挿入がなく(家から漏れ聞こえるラジオの音やお祭りの音楽などだけ),少ない台詞と生活音だけ,それと時々ミツバチの羽音の静かな映画.雨がちで白いもやがかかる緑の豊かな森,舗装もされていないぬかるんだ茶色の地面.今と同じ時代なのにどこか懐かしい風景は美しいけれど変化は乏しい.繊細で,つい手をさしのべたくなるほどの子どもの心の動きも,感情任せの大きな起伏とは別次元.平穏な一家から父親の存在が失われるというストーリーなのに,淡々と描かれていく全体構成.それなのに1時間43分はあっという間に過ぎた.正直,もっと見ていたかった,そんな映画だった.
公開は,6月から.銀座テアトルシネマ他全国順次ロードショー(配給:アルシネテラン)だそうです.お楽しみに.
作品オフィシャルサイトはこちらです.
引用文献
Giray, T., M. Kence, D. Oskay, M. A. Doke and A. Kence. 2010. Colony losses survey in Turkey and causes of bee deaths. Apidologie 41(4): 451-453.
Guler,A. and M. Demir. 2005. Beekeeping potential in Turkey. Bee World 86(4): 114-119.
Kandemir, I. Harvesting honey from a log hive. Bees for Development Journal 94: 3-5.
あれは西洋ミツバチなんですね。黒いから、東洋ミツバチの一種?なんて思っていました。
ずいぶん高価なハチミツですねぇ。どんなふうに消費されているのか気になります。
映画は、トルコの山奥にトリップしたような、そして、文中にもあるようにタイムスリップしたような気分になる独特な雰囲気がありますね。普遍的な父と子、家族の話が、父親の不在という家族にとってはドラマチックな出来事なのに、とても静かに語られていきます。ミツバチ、そして蜂蜜は、その普遍性を象徴するものなのかな?
ミツバチを知れば知るほど、私たち人間の不完全さ、不遜な部分を思い知らされます。日本が今、近代的なシステムのほころびにより大変な困難にあるとき、ミツバチとともにある、この映画の中の暮らし方がとても新鮮なものに感じられました。
突然ですが、トルコの養蜂業に関する貴ブログの記事が大変貴重ですので、私のブログで引用させていただきました。事後的になってしまい申し訳ありませんが、お許し頂ければ幸いです。
加えて、この映画についてのご感想は、一つ一つ納得出来るものばかりです。特に、「どの映画でも,子役はいつもずるいなあとは思うけれど,学校の生徒たちもそれぞれみんないい味出している」し、「8歳のボラ・アルタシュは,演じているという感じがなくて好印象」との点に関しては、演技の上手な大人びた子役を売り物にする邦画が増えている現状に対する実に的確な批判では、と思いました。
ご訪問をありがとうございます。映画鑑賞のお役に立てましたなら、幸いです。
子役になりたい子どもに、泣く演技をさせているのをテレビ番組でみて、痛々しく感じました。子どもの役が欠かせないとはいえ、なんだか違和感をぬぐえません。ボラくんの不安な思いに揺れる瞳が、とても雄弁な映画でした。