2010年04月09日

都市でミツバチを飼うことに意味って必要?

名古屋でもビルの屋上でミツバチを飼うという報道があり,またいくつかの問い合わせがありました.名古屋では,今秋,生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されることもあり,これに絡めた動きということで注目されているようです.そのあたり,ミツバチはどう思っているのでしょう? 聞いてみました.

minilogo.pngミツバチを飼うことに意味があるというのは,単なる人間の言い訳でしょう? 都会のビルの屋上だろうと,ミツバチはそこにいれば蜜は集めるよ,そういう習性の生き物なんだから.集められなければ,それはすなわち「死」ということなんだ.人間が,都会で,「ミツバチを飼った」,「蜜が採れた」,「生産現場だ」,「自然があった」,「共生だ」と,いろいろなごたくを並べて,喜んでいるけれど,違和感あるなあ.ミツバチからすれば,その状態を歓迎しているわけではないよ.巣箱を提供してもらっている立場上,連れて行かれればそこで最善は尽くすけれどね.それがミツバチの本然だから.

minilogo.pngほら,人間も,震動や騒音もある電車の中で座ったまま寝てるでしょう.あれが安眠や充分な休息と思われているのと同じだよ.寝ているんだから,その電車の座席は安眠空間だといっているようなもの.人間は寝るのが習性なんだから,どこでも寝るんでしょう? 電車の中で,席を譲ってあげて,実際にその人が寝たら,いい場所を提供したって喜ぶものなの? 変な生き物だねえ.ゆっくり眠れる空間は他にもいっぱいあることを知っているのにさ.もっといい場所を提供して,この人は疲れているんだから最高の場所で寝かせてあげようっていうなら,わかるんだけど.電車で席を譲ってあげて,ほら寝ただろう,じゃああとは働けって,本気でそれがいいことだと思っているのかなあ? されて嬉しいことを人にしてあげたいというのが,人間の美徳とかいうやつじゃないの.まあ,ミツバチは人間じゃないから,その美徳感覚もよくわからないけれどね.

minilogo.png生物多様性をどう考えるかって? だって,そもそも生き物は本来多様で,ある景観の中にいろいろな生き物がいて,相互に直接的な,あるいは間接的な,いろいろな距離で関係を築いているんだよ(人間によって攪乱されているといういい方もできるけれど,生き物の側からは,何だかやっかいなやつが入ってきたなっていう感じかなあ).状態の善し悪しはともかく,生物多様性は生き物からみれば実存するものであって,概念ではないよ.学問として学ぼうというならそれもよいかも知れないけれど,それは人間がやることでミツバチがやることではない.

minilogo.pngだから,ミツバチを飼うことがどう生物多様性と結びつくかは,ミツバチにはどうでもいいこと.もちろんミツバチをみていてくれれば,生き物の多様性の重要性はわかるとは思うよ.ミツバチは,生物相互の関係なしにはやっていけない,そういう想定で自分たちの立ち位置を作っているからね.

minilogo.png環境指標生物? ミツバチはどの場所でも,自分たちの存続のために最善を尽くすから,環境に対して周囲の影響を受けやすい,絶対的な受容者ではないし,そもそも飼うことができる生き物を環境指標生物と考えることには無理があるのでは.そのあたりはたぶん誤解があると思うよ.

minilogo.png海外でも都会でミツバチを飼うことが多い? だから飼うことには何の問題もないよ,ミツバチとしては最善を尽くすだけ.もっとも人間側ではいろいろ問題があるんじゃないの? 分蜂とか,刺されたとか,糞だとか? みんな気にしないの? 気にしないでいてくれるならミツバチ的には嬉しいけれどね.最近は,そんな理由で,せっかく覚えた空間から出て行かなきゃならないことも多いんだ.

minilogo.png人間はハチミツが採れて嬉しい? まあ,こっちはせっかく集めたんだからやりたくはないけれど,採って喜んでくれるなら,また明日から頑張ればいいと思うことにするよ.でも,素直に町中でハチミツが採れたと喜ぶだけにしておいたら? 人工空間の中には人間がいうところの「自然」はないから,都会にいるミツバチが人間と自然とのパイプ役になれるわけないし.人間が何を「自然」と呼びたいのかはちょっとよくわからないけれど,人間も生物という意味では,都市だって充分に自然(生き物が作った構築物があるだけで)なんじゃないの.自然と共生とかいう言葉があるけれど,生き物である以上,普通はみんな一体なんじゃないの?,え,ちがうの?

minilogo.pngミツバチがどの花を利用するかとか,その空間をどう考えているかとかは,ちゃんと聞いてくれれば答えてあげられるから,勝手な想像でいい加減なことはいって欲しくないな.ミツバチにとっては花はどれも同じじゃあないこともわかって欲しいし,ある空間の中で生きていくためには,自分たちがいいときにも悪いときにも対応できるように築いてきたシステムを駆使しているから,その点は尊重して欲しい.こういうことを「科学的に理解すること」だといういい方をする人もいるけれど,それ以前の問題だと思う.

minilogo.png生物多様性はいろいろな概念が入ってきてしまうから難しいのかも知れないけれど,正直言って,ミツバチ絡みの話は,このままじゃ,流行の疑似科学になってしまうよ.それに荷担しているように思われるのは嫌だなあ.ミツバチが都市の環境を教えてくれると思うのは自由だし,ちゃんと聞いてくれるならちゃんと答えてあげられるけど,対話ができているとは思えないなあ.ビルの屋上でミツバチと一緒に写っている人たちはいつも笑っているみたいだけど,ミツバチが笑っている写真は見たことがないね.気持ちが通っていないのに,何かが伝わったりすることってあるのかな? 人間はそういうの得意なんだっけ?

minilogo.pngメディアが,都会のミツバチを取り上げて,自然との共生だとか,文化だとか勝手なことを言うけれど,それはミツバチには責任のないこと.その点はちゃんとわかって欲しい.ミツバチはどこにいても自分たちの最善を尽くそうとしているだけであって,人間に誉めてもらおうと思ったことなんかない.あたりまえに,生きようとしているだけ.でも,もし,そこで生きていけないとしたら,申し訳ないけれど,それもミツバチの責任じゃあない.そのあたりは,よくよく理解して欲しい.

minilogo.pngミツバチは人間のいう「動物愛護」の対象外だけれど,動物には違いないし,個々の働き蜂はともかく,ミツバチという生き物として「命」があるんだ.人間のご都合にもてあそばれるのを,よしとしているわけではないことも,わかって欲しいな.


posted by みつばち at 10:45| Comment(2) | TrackBack(0) | ミツバチの気持ち by Junbee | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする